私が書いてます☆詳しいプロフィール
プロフィール概略
- 名前 :tomoko
- 出身 :愛知(現在も愛知です)
- 性格 :ネアカに憧れ続けるネクラ 独りが好きだけど誰かと一緒にいるときはお互い楽しくいたいです
- 職歴 :県の外郭団体職員、自動車メーカーの派遣社員、スポーツクラブのパート、ハウスメーカーのパート、整体師
- 趣味 :子育て、読書(最近はホリエモンの本が精神安定剤)キンコン西野さんのオンラインサロン、ダンス、バレエ、舞台鑑賞
- 興味 :哲学、脳科学、心理学、東洋医学、スピリチュアル
- 目標 :好きなことをして稼いだお金で、好きな人のパトロンになること
- 音楽 :マイケルジャクソン、エミネム、ビヨンセ、踊れそうなクラシック、踊れそうなヒップホップ
- 映画 :グレイテストショーマン、ワイルドスピード1、2
もくじ
楽しく生きるためならなんでもする?!
はじめまして。
このママブログを書いているtomokoです。
せっかくママになれたんだから、ママ的なポテンシャルを高くしたらもっと人生楽しめるんじゃない?
「やりたいことをやって、楽しく生きていたい」
何かをやってみたいと言う度に「お前にはムリだ」って言われ続けてましたが、
本当はずっと「やってみないと分からないじゃん」そう思ってました。
とくに小学生の時にマイケルジャクソンに憧れてからはダンスにハマっていましたが、周りに理解されず。
今のようにダンスをしている人が身近にいない、ネットも動画もない時代だったので、こっそりビデオを見て踊っていました。
その後学生になり、お小遣いやバイト代で自分で習いに行きました。
何となく社会人になってからは「仕事はつまらないけど稼いだお金でダンスできるからいいや」って思ってました。
一度はNYやLAでダンスしてみたかったので、一か月間のダンス留学。
「何の役に立つんだ?一人で海外なんて危ないから止めろ」と周りに猛反対され大ゲンカでしたが、
その時の経験や楽しい思い出は、私の中でその後の人生にとても役立っています。
地元では女子が歩むふつうのコース
まあまあの地元大学→地元企業就職→結婚後は実家の近くで家を建てて住む
このコースに外れるような子は変わり者扱い、英語を習わせれば海外へ行っちゃうからダメ、成績が良すぎても東京へ行っちゃうからダメ。
そんな過保護な母親の常識の中で、つまらないけれども何不自由なく暮らしてこれたことは感謝しています。
でも、やっぱりダメなんです。
自分の本当のキモチ「やりたいことをやって、楽しく生きていたい」のためにあがき続けることが幸せなんだって気づいたんです。
今生きてることが奇跡!明日どうなるかなんて誰にもわからない
今、どれだけ若くても健康でも今のように明日も元気で生きてる保障はどこにもありません。
私が23才の時、その日までお友達と旅行を楽しんで帰ってきた父が自宅で倒れ、そのまま亡くなりました。父は54才でした。
私が33才の時、東日本大震災が起こり、当時3才だった娘を抱えながら被災地を悼み続けることしかできませんでした。
私が35才の時、旦那さんが適応障害と診断され、会社を休職することになりました。
父は毎晩遅くまで働き、ほとんど家にいない典型的な昔の父親像でした。
当時はそれが当たり前の世の中だったので、特に寂しいなどと思わず真面目に働く父親を尊敬していました。
父は子どもの頃から身体が弱かったらしく、ひどい小児喘息だったという父の喉元には手術の跡があります。
救急車が到着し、救命士さんが人工呼吸器をつけようとしましたが、気道が狭くて入りにくかったようです。
亡くなったあと、父の車からは大量の栄養ドリンクの空き瓶が出てきました。
疲れている素振りは全く見せず、仕事に趣味にと楽しんでいるように見えていた父の闇の部分を始めて知り、
申し訳なさと切なさで胸がいっぱいでした。
家族のために頑張って働いてくれた父のためにも、私たちは強く明るく生きていかなければならない、そう強く決意しました。
日本中が大変なショックを受けた東日本大震災の時。
被災地から遠くはなれた愛知では、物理的な被害は全くない状態でした。
それにも関わらず、私は幼い娘を世話するのが精一杯で、被災地の方々の支援や復興について何もすることができませんでした。
なるべく節電して、働く時間が変わった生活スタイルに慣れることくらい。
テレビのニュースで流される不安な映像にただただ怯え、悲しみ、復興を願うしかありませんでした。
突然奪われたたくさんの人たちの未来。
とくに、突然子どもの未来を奪われた親御さんや、親御さんを失って悲しんでいる子どもたちの事を想うとやりきれない気持ちでした。
いつ、何が起こるかわからない、今を精一杯楽しんで、周りの人たちを大事にして生きていこうと決意しました。
日本中が、少しずつ震災のショックから抜け、東北の支援のためにも他の地域は明るく元気で頑張ろうという空気の時。
旦那さんが体調を崩し、会社を休職することになったと聞かされました。
一旦は治ったかと思いきや、今も薬は欠かせず、時々ひどく落ち込んだりひどい腰痛になります。慢性的な鬱の症状のようです。
当時、真っ暗や闇の中で苦しんでいた旦那さんにこう告白されました。
「君や娘には申し訳ないけど、本当は死にたかった。」
娘が生まれる少し前から夫婦中はうまく行っていない状態で、
「別れるにしても絶対娘は渡さない、俺が育てる!」
と、数日前にこう言い放って私を激怒させていた旦那さんの口から出たこの告白。
あれだけ娘は俺が育てるって言ってたくせに、勝手に死ぬ気だっただと?
私のハングリー精神に火がつきました。
母は強いです。
一人になったとしても、娘は何不自由なく育てて見せる‼
そのために、まず考えたのが経済的自立。
娘を母や保育園に預けて勤めにでるか?
娘とできるだけ一緒の時間を楽しみたくて専業主婦になったのにと思うと、それだけは抵抗がありました。
それでも、まずはパートからだと面接を受けに行くことが決まっていたある日、事件が起こります。
抗うつの薬でもうろうとなっていた旦那さんの背中に「おんぶぅ」と無邪気に飛びついた娘。
その拍子に気を失って倒れてしまった旦那さんの下敷きになって、娘は足を骨折してしまったのです。
すねにある太い方の骨(脛骨)をへし折られていまいた。。。
幸いにも3ヶ月くらいで普通に治ると言われホッとしましたが、
動けなくなった娘につききりで世話をしなければならなくなり、パートどころではなくなりました。
今思うと、あの状態で私が外に働きに出て調子に乗ってしまえば、旦那さんの状態もよくならず、引きこもりへ、やがて離婚。。。
娘にとって最悪のシナリオになる運命の分かれ道だったのかもしれません。

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あのとき彼女は身を呈して私たち家族の運命を導いてくれたのだと思うようになりました。
ここからが本当の始まり フルマラソンを完走
今までの生き方じゃダメなんだ。
何かを変えていかないと。。。と焦る私に、今度は女神からの誘いがありました。
「名古屋ウィメンズマラソンに一緒にでてみない?フルマラソン完走すると、人生変わるらしいよ」
知り合ったばかりのママ友に誘われるまで、マラソンなんてまったく興味なしの運動嫌い主婦。
大がかりに街を封鎖して、お金を払ってまで42キロを走るなんてどうかしてるぜ!。。。と市民ランナーについて思っていた私ですが、
どうかしてることをやれば、人生変わるかもしれない!と思ってしまったのです。
練習を始めるにあたって、コッソリと公園を走ってみましたが運動不足がたたり、700メートル走る(歩く)のがやっとの状態でした。
有言実行を目指さないと途中で辞めてしまいそうだったので、家族やママ友に宣言しました。
「頑張ってみなよ」とは言われましたが、誰もやり遂げることを期待してなかったと思います。
それでも9か月の練習を続け、本番は35キロ過ぎのしんどさを乗り越えてゴールできたのは、
骨を折って動けなくなり可哀そうな娘と、暗い部屋に一人で引きこもっていた旦那さんへの意地もありました。
ゴールすれば、絶対に人生が変わる!
想いは引き寄せるものです、会場のあちこちに書いてある選手や出場者を励ます言葉。
大会のメインスポンサーだったNikeのコピーも私にささりました。
まるで、私のためにNikeが用意してくれた大会だったようです(笑)
「この42.195キロから新しい私が始まる」
そして、本当に新しい私が始まったのです。
資格を取って手に職を!宅地建物取引士に合格
マラソン完走後、やればなんでもできるという強気を手に入れた私は、いよいよ自分で稼ぐための挑戦を始めました。
安定して稼ぐには国家資格を取って働くのがいちばん。
今思うと昭和的な発想すぎて恥ずかしいですが、前々から不動産には興味もあったのでやってみることにしました。
調べてみると、初心者でも3ヶ月で合格できる!という本もでていたのでこれを真に受けて3ヶ月の独学で挑むことにします。
詳しい勉強法はまた記事で書きます。
とにかく朝4時に起きて、勉強時間を確保。
家事や子供会の役員、スポーツクラブのパートを並行して行い、宅健に合格できた喜びはひとしおでした。
この時が人生でいちばん頭を使ったと思います、そしてまたもや有言実行。

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やればできる!私って実はスゴイかもの自信で、調子こいていました。
この自信をもって、知り合いが誘ってくれた某ハウスメーカーにパートへ出ました。
覚悟はしていたものの、速攻で心を折られます。
住宅販売の営業さんは、昼夜問わずしかも土日中心で顧客対応をしなければならない。。。
たとえこの仕事で望むような収入を得られるようになったとしても、
営業に取られる人生の時間は膨大になることを覚悟しなければならない。
今、娘と一緒に楽しく過ごすことが一番の目的なのに、この手段はまったくそぐわないことに気づいたのです。
厳しさと拘束時間の虚しさに耐えられず、逃げるように辞めました。
紹介してくれた知り合いの方、負担をかけてしまった娘や旦那さんに申し訳ない結果で終わってしまいました。
自分や家族の役に立つ仕事を! 整体師になる
自分で決めたことを自分で辞めて人にも迷惑をかけてしまった。
大きな挫折を味わいましたが、私には「やりたいことをやって、楽しく生きる」という一番の目的があり、これを達成するために諦めません。
自分のやりたいことで楽しく働く!の原点に戻ってみます。
どう考えても、今の自分は娘と一緒に過ごすことが一番でした。
そんな中、やってみたかったことを思い出します。
小さい頃からダンス、バレエが好きで、踊ってさえいれば幸せだったこと。
しかし、高い柔軟性や筋力が必要なダンスやバレエを高いレベルで続けていくには、どうしても身体のケアが必要です。
小学生でも整体に通っている子はふつうに見てきました。
「そうだ!自分に整体の知識と技術があれば、娘と自分のケアに役立てることができる!」
早速バレエダンサーの整体が得意な先生を見つけてスクールに入ることにしました。
やってみると、今までいかに身体のしくみについて考えもしなかったか、自分がどれだけ不器用かを思い知ります。
どれだけ理解に時間がかかっても、見捨てずに丁寧に教えてくださる先生。
少人数制で卒業できるまでフォローしてくれるシステム、よく調べもせずに直感でスクールを決めてしまいましたが、
本当に良心的なスクールに入れてよかったと思ってます。
先生の知識の広さと深さ、技術の良さや人柄に魅せられ挫折することなく卒業することができました。
家族やお客様に喜んでもらえてお金もいただける、そんな素晴らしいスキルを手に入れることができたのです。
このスクールに通ったおかげで知り合えた先輩方や一緒に学んだメンバーたち、
様々なスキルを活かして自分で稼いでいました。
そんな彼らの生き方を近くで見られたおかげで、
私に染みついていたサラリーマン思考を一気に広げることができました。
お金の稼ぎ方は色々ある。
もっと自分で考れて努力すれば、
自分の好きなことで好きなように稼ぐこともできるんだ!
ブログを始めたことも、このスクールで自分発信することの大事さを学んだおかげです。
整体を学んでいくうちに、今ではすっかり自分の習慣になったランニングとも繋がって、色んなことに興味がわいてきました。
信頼と実績づくり 健康づくりリーダーとして地域の方々に貢献したい
マラソン挑戦から始まり、整体の知識を得たことで私の健康に対する意識と知識は広がりました。
旦那さんが真っ暗闇の部屋から出てこられたのも、私自身が健康的な思考と身体を手に入れたからだと思って感謝しています。
娘は相かわらずの明るさと根性で、バレエやピアノの習い事や学校を楽しんでくれています。
私は自分の体験を通して得たことを、周りの方々と共有していきたいと思うようになりました。
私と同じように家族や自分のメンタルの不調で悩んでいる方もいるかもしれない。
運動すること、整体で身体をケアすることで、心まで軽くし周りの状況を変えることを広めたい。
今のところ、整体を受けに来てくださるお客さまは限られています。
まずは自分自身を知ってもらわなければ、私を信頼して整体など受けてはもらえません。
そんなとき、近所の方が健康のために参加する「体操教室」のお知らせが目に入ります。
調べてみたところ、研修を受ければ誰でも「健康づくりリーダー」として登録でき、
行政もからめて体操教室などが開催できる仕組みがあることがわかりました。
早速研修を受けて登録。
今は体操講師として、先輩講師の方々のご指導を受けながら奮闘中です。
中にはこの道20年!の先輩方もおられます。なんと、80代の方も人気講師として活躍中!
ベテラン講師として、みんなを楽しく運動させるスキルは素晴らしく、生徒さんや福祉施設の方たちからの信頼は絶大です。
「やりたいことで楽しく稼いでいく」ために必要なこと。
自分で少しづつ積み上げていく信頼と実績しかないということがやっとわかってきました。
私は今までの人生でここを完全にサボってました。
実績を積むための努力を続けていくこと、
簡単なようでいちばん難しいこの道が自分のやりたいことに続く唯一の道だとやっとわかりました。
これから、長くかかったとしても続けていくしかないと覚悟しています。
まだまだ続く 楽しんで生きる!
ここまでの長文をよんでくださった方、本当にありがとうございます。
娘の子育てはまだ途中。
旦那さんのうつ病的な思考も継続中。
私の「やりたいことで稼いで楽しく生きる」もまだ実現半ば。
こんな中途半端な状態ですが、これからもチャレンジし続けていつかは成果として、実績として発表。
皆さまに楽しんでもらえるようなブログが書ければと思って頑張ってます。
その時まで面白がって応援してくださる方、私と気が合いそうだと思ってくださる方がいたら嬉しいです。
ブログに関するご意見やご感想をお待ちしております☆
これからもどうか宜しくおねがいいたします。