0.7キロから42.195キロまで ⑥~気を付けよう!家の中でも大事故に編~
走ることにまったく縁のなかった主婦が急に思い立つ。フルマラソンに挑戦してみよう!その間に起こった最大の惨事。。。でも、このことがなければ、今の幸せな家庭はなかったのかもしれません。
5年前10月。
ランニングを始めて体調も気分もよくなり、調子に乗ってきた自分。そろそろパートでもできるかな、と思い立ち面接の日取りまで決まったある日。思い出すのもツライ悪夢のような出来事が起こってしまいます。
私とは逆に、また調子が悪くなってきていた旦那さん。会社には通っていたものの、休日はなかなか起きてこずに部屋に閉じこもりがち。月曜日の朝は会社に行けなくなってしまう事もありました。
そんな中、我が家で大事故が起こります。それは寝る前の時刻、寝室で起こりました。子どもがパパに甘えて「おんぶして♪」と飛びついたとたん、
バッターン!!!
と、大きな音がし、何かが倒れたことはわかりました。ベッドで先に横になってまどろんでいた私は飛びつかれた旦那さんがふらついた拍子に何かを倒したのかなと、すぐに見にもいかず、子どもか旦那さんが動き出すのをうかがっていましたが、二人ともなかなか動き出しません。そのうち、「パパ、どいて!痛い。。。」と苦しそうな子どもの声が。。。
ようやく起き上がり、様子を見に行くと大事な娘が、貧血で気を失って背負った娘側へ倒れてしまった旦那さんの下敷きになっていました。すぐに旦那さんも気づき、体をどけましたが娘は「足が痛い。。。」としくしく泣いています。見ためは腫れてもおらず、折れたりはしてないだろうと判断した結果、とにかく寝ようと青ざめてしくしく泣く娘を寝かしつけました。
そのときの夜の長さを、娘があまり覚えていないようなのが救いです。おとなしくベッドで横になっているものの、痛くて寝られず、トイレばかり行きたがりました。「痛くて歩けない」というので、毎回娘を抱きかかえ、トイレに連れて行きました。甘えているだけで本当はたいしたケガじゃないんじゃないかと思いつつ、痛くて眠れなかった娘に付き合ったことが、後に私の救いとなりました。
翌朝一番で病院に連れて行くと、みごとに足のすねの骨が折れていました。脛骨という太い骨の方です。レントゲン写真を見るまで、お医者さんも折れているとは思わなかったようで、「・・・これ、折れてるんですよね?」と聞いた私に、骨折しているのにこんなに静かな子は初めてみたと言われました。
順調なら3か月くらいで治るし歩けるようになる。という診断で、手術が必要なわけでもなく、障害が残らないケガだったことが私の救いでした。もし、もっと重症だったなら、自分も油断があったとはいえ旦那さんの事を恨んでいたに違いありません。唯一、自分をほめられるのは、一晩寝ずに娘の痛みに付き合ったこと。無理に歩かせなくて本当に良かった。。。
昨夜から調子が悪いからと、その日も休んで部屋にこもっていた旦那さん。彼もまさか娘の脚をへし折ってしまったとは思っていないので、相変わらず真っ暗な部屋でゴロゴロしていました。そんな彼を責めても治るわけでもないし、娘の骨はくっつくまでじっとしているしかありません。
「お母さんが大変だろうから、入院させてもいいですよ?」とお医者さんは言ってくださいましたが、まだ5歳の娘。もちろん病院でひとりは嫌、おうちがいいと言うのでその日から約2か月、幼稚園もお休みして自宅療養でした。私はもちろんパートどころではありません。
家には骨が折れて動けない娘と、真っ暗な部屋に閉じこもる旦那さん。私の人生の中で最悪の状況ですが、それでも走り続けました。昼間は私の母が手伝いに来てくれたので娘を預け、その間にランニングと買い物です。そんなムリして40キロも走らなくても。。。と母は言いましたが、
フルマラソンを完走し、どんなことがあっても負けない、くじけない、という姿を旦那さんと娘に見せた方がいいような気がしたからです。その日から、マラソン完走は自分の使命のような気がしてきて、より強い思いで完走を目指す気持ちになりました。
次回につづきます。