一期一会の大切さ
「一期一会」毎日顔を合わせる人ほど大切にしたい
昨日の朝、旦那さんが私の呼びかけに応えないまま出かけようとしました。あきらかに聞こえているのに無視してドアを開けます。とくにケンカ中というわけでもありません。
反抗期の子どもか?!ものすごく腹が立ったので玄関の外まで追いかけ、呼びかけました。旦那はさすがに驚きながらも応えてから出かけました。
夜、帰ってきた旦那さんに事情を聞くと、
仕事のことや体の調子、どうしても気になることがあって考えていたから
それが本当の理由なのか、私に不満があったからなのかわかりませんが、彼の立場にならないとわからないこともあるので良しとします。
問題は、ナゼこの時、私が一瞬でものすごく腹が立つほど反応したか。
よくよく考えてみると
「どれだけケンカをしていても、子どもが出かけるときは気持ち良く声をかけて送り出しなさい。」
おばあちゃんの教えを母が受け継ぎ、私にもしてくれていたこと。母はどれだけ怒っていた後でも、どれだけ私の態度が悪くても、私が出かける時は気持ちのいい「いってらっしゃい」を言ってくれました。
もしかしたら、自分も朝の旦那のようにわざと応えないで出かけることもあったのかもしれない。それでも、母やおばあちゃんは気持ちよく送り出してくれていました。その一言が、出かけている間も子どもを守ることになると。
おばあちゃんは仏教に親しんでいた人で、僧侶の説法のような教えをよく口にしながら実践してくれていました。それがこの年になってみると、自分の役に立っていること、私を守ってくれていることに気づきとても感謝しています。
知らない間に、私は見送りのときの声掛けの大切さを受け継ぎ、どれだけ朝ドタバタしていても手を止め、娘や旦那を見送る習慣になっていたことに気づきました。
それはいいとして、じゃあ、ナゼ、声掛けに応えなかったという行動に腹を立てて追いかけてしまったか。それは、わざと応えなかったときの気分の悪さも知っていたからだと思います。
どんなに会いたくても、また会えるとはかぎらない
どうせまた会えるのだから伝えるのは今度でいいや。
この今度、本当に来るとは限りません。若くて元気だったとしても、いつ地震がくるかわからないし、事故にあうことだってある。たった一回の気分の悪い別れのつもりが一生の別れになることだってあるのです。
大事な人と後味の悪い別れ方をしてしまった日に、どちらかが亡くなったとします。死んだ人が後悔できるのかわかりませんが、残された人は後悔が一生つきまとうのではないか。
なので、私はできるだけ親しい人との一期一会を大切にしたい。毎日会う人でも離れる瞬間は、もしかしてこれが最期の別れになっても後悔しないように心がけたいです。この先、相手がすごい反抗期中の娘だったとしても追いかけて見送ると思います(笑)
というわけで、もしもの事態になったとき、彼が後悔するのではないか?その逆パターンもアリ、私の後味が悪すぎだわ!と思って追いかけたわけです。
ここから妻の深い愛を感じるのか、恐ろしさを感じるだけなのかは彼にしかわかりませんが(笑)